【アメリカと日本茶】その12

日本茶業はペリーによって始まった。

シ、日本茶が真直ぐな理由とアメリカその4 
「中央茶業組合本部報告」
今から135年前、明治18年(1885年)に発行された「中央茶業組合本部報告」第11号に「製茶各法精研伝書」と云う雑記が載せられています。
私が今まで調査したなかで、各地の手揉製法を解説した文章としては一番古いものです。宇治製は「宇治製…生葉を能く蒸し、又能く醒まして、其の六、七百目を焙炉に掛け、能く葉打をなし、漸々にして之を撚る。又撚り渡れは十分の力にて6分頃迄撚り切るなり。尚7分頃に至れば二手三手揃えては撚り切り、亦揃えては撚り切るなり。而して8分頃に至れば十二分の力にて撚り付るなり。9分頃に至れば即ち二番焙炉に移して乾かすなり。此の形状は圓撚りにして、色沢黒青なり。香味温和にて佳なり。是れ宇治製の方法也。」と書かれています。

明治18年の宇治製法は永谷宗円と同じく、葉打ち(露切)のあとは揉切(撚切)一辺倒でした。
宇治製の外に、江州製、勢州製、駿州製、狭山製、上総製が解説されています。駿州製(静岡製)にデングリ揉が導入されている以外は全て揉切が基本になっています。
其の形状は、宇治製は圓撚り(丸より)、江州製(滋賀)は長伸束針、駿州製(静岡)は扁平にして圓撚りならず、狭山製(埼玉)は扁平萎縮にして同一ならずです。
この当時全国の手揉製法は揉切が基本ですが種々雑多でした。其の為に、茶の形状、色沢、香味も種々雑多で、アメリカ輸出茶は再製に於て着色し細かい形状に加工しないと同一の大ロット(大量)の茶を得ることは出来ませんでした。

(12回、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。続きは次回に回します。)

令和2年2月