【アメリカと日本茶】その17

チ、「宇治製法と宇治茶その5」
「茶業界」第16巻第6号(大正10年、1921年)「宇治へ一日の旅」鈴木孫太郎には
「大正十年五月二十日の午後九時五十五分に静岡を発し京都府宇治郡宇治村木幡へ着いた。先ず木幡の桑原善助氏を訪うた。同家では玉露と碾茶の製造中であった。玉露の方の葉は碾茶よりもやや若目に蒸したものを、八百匁乃至一貫匁入れて、葉干しを為す。葉干しの操作は玉露製造中の大切なる作業で、煎茶製造に従事しているものが想像も及ばぬほど、手使いを柔らかに而も頻繁に作業するのである。時間十分乃至十一、二分で軽き回転揉に移る。此れも亦煎茶製造の場合とは異なり極めて軽く取扱い、色合いを落とさず葉形を短くせざることに心掛け、時間一時間にして中火に取り出し、不純物を撰り分けて後に炉に入れ、揉切を為すのであるが、手使方法が静岡県でやって居るのと大した相違はない。只葉を拾うのにも揉切るのにも小手で頻繁にやる様にしている。乾くに従い、転繰に真似た操作や、テンコロと云うた様な(転繰に似て、一寸趣の異なったもの)作業をするものがあるが、之は余り感心せぬ。矢張り揉切りで遣り通す方が理想だと主人が云うて居られた。最後に板コクリが行こなわれる。之は以前には行われなかったのであるが、近来玉露の形状とか艶とか云うものがやかましく云われる様になってから、板コクリをやる様になったそうである。宇治、木幡、桃山を通じて此の方法が行われている様子である。二手に分けて片コクリしたものよりも、一手にして板コクリにした方が、力が良く利いて艶が浮くと云われている。技術者も永年の経験から随分上手に作業して居る様である。乾燥は焙炉を以て行い一人に一つの焙炉が与えられている。製品は一炉毎に審査附点されて、其成績は炉部屋の壁に何日分を通じて貼り出されている。」と書かれている。
大正10年(1921年)の宇治の玉露手揉法です。揉切の後の転繰(デングリ)やテンコロはやらない方が良い。揉切でやり通すのが理想です。板コクリは宇治、木幡、桃山を通じて一般化されています。