『昔の抹茶と今の抹茶』の違いについて【その2】

(2)栽培

栄西がもたらした抹茶の栽培は露天でした。
鎌倉、南北朝、室町の約300年間は露地の碾茶が作られていました。
茶園に覆いをするということは茶の新芽を霜の害から守る目的で始められたものですが、それは抹茶の品質面において革命的な改良をもたらしました。
覆い下茶園の新芽で製造した抹茶はそれまでの露天園の抹茶とは比べ物にならないくらい美しくおいしい良質な抹茶になりました。

この覆いの元祖については諸説があります。
上林味ト説や上林久重説や小堀遠州説がありますが、ロドリーゲスの「日本教会史」によれば、天正年間から慶長年間に宇治においては覆い下の技法が一般化していたことが分かります。
よって、覆いの元祖は16世紀前半から中ごろにかけての宇治の多くの茶生産家であろうと考えらます。
よって、村田珠光は露地物の白い渋い抹茶しか知らなかったと思われます。
千利休は覆い下の緑の美味しい抹茶を点てることができたと考えられます。

(3)摘採
栄西の時代から今日まで手摘みによる摘採は続いています。
京都においては昭和60年頃からハサミ刈りによる摘採が増加しはじめました。
現在全国で生産される碾茶の内、手摘みは10%でハサミ刈りは90%です。

(4)製造と蒸し
碾茶の製造は、栄西以来大正中期までの約720年間はホイロ小屋での手製の製造で、蒸しも手蒸しでした。

大正時代になって碾茶製造の機械化が始まり数式の碾茶機械が発明されました。
中でも大正13年に久世郡宇治町の堀井長次郎の発明した堀井式碾茶機械はそれまでの手製に比べて非常に性能がよくあっという間に宇治に広まりました。
現在世界中に在る碾茶炉は全て堀井式碾茶炉です。
手製碾茶と機械製碾茶炉との一番大きな違いは温度です。
手製のホイロの助炭(ジョタン)面の温度は110度から120度にしかならないのに対して、機械製碾茶炉では180度から200度にもなります。
この温度差によって品質面においても手製とは比べ物にならないくらい良質な碾茶を製造する事が出来るようになりました。

今、全国に手揉み製茶の技術保存会はたくさんありますが、手製碾茶の保存会は一つもありません。
それは、手製碾茶より機械製碾茶の方が経済的にも品質的にも優れているからです。
碾茶用蒸し機が開発されたのは戦後の昭和24年京茶研型碾茶蒸機が最初です。
それまでの手蒸しに比べて、蒸気量、蒸気圧、葉への打圧において各段に優れていました。
手蒸しでは裏白(ウラジロ)になりそうな摘み遅れた葉でもなんとか染まるようになりました。
品種と碾茶機械と碾茶蒸機の開発で、それまで非常に早い時期から摘採しなければならなかったものが、
摘採適期で摘める期間が増えました。

執筆:2014年4月