『昔の抹茶と今の抹茶』の違いについて【その3】

(5)粉砕と流通
栄西以来大正中期までの約720年間は抹茶での流通はありませんでした。
720年間は碾茶という葉の状態で流通していました。
これを「葉売り(ハウリ)」と言います。
抹茶は抹茶を消費する人が碾茶を購入し、手挽きの茶臼を廻して抹茶にしていました。
抹茶の状態で流通し始めたのは大正時代に電気が使えるようになってからですから、抹茶での流通の歴史はまだ100年です。
抹茶の状態で販売するのを「挽き売り(ヒキウリ)」と言います。
一人挽きの手挽きの茶臼の直径は18cmから21cmが多く、上臼の重さは7kgから10kgが多いようです。
上臼が軽いのと直径が短いために、現在の機械茶臼で挽かれる抹茶に比べて相当に粗い抹茶粒子であったと考えられます。

機械茶臼は、最初は直径が尺五、尺三、尺二、尺一、尺など色々なものが試されましたが、現在では全て尺一(33cm)の茶臼が使われています。
尺一の茶臼の直径は約33cmで上臼の重さは20kgから25kgあります。
茶臼の回転数は、1分間に50回転から60回転が多いようです。
機械茶臼で挽ける1時間当たりの抹茶量は、大正時代から昭和10年代は30匁(約112g)、戦後の昭和30年代から40年代は20匁(75g)、現在では約40gとだんだん少なくなってきています。
機械臼になった当初は、手挽き臼に比べると細かい抹茶粒子であったと考えられますが、現在の抹茶と比べると相当に粗い抹茶粒子であったと思われます。現在でも1時間に100g以上を挽くことは可能です。
しかし、抹茶粒子が粗くざらつきますし、香りはまあまあ良いのですが黒ずんだ暗い挽き色になります。
また泡立ちが悪く、喉ひきの悪い抹茶になります。

執筆:2014年5月