『昔の抹茶と今の抹茶』の違いについて【その4】

(6)碾茶、抹茶の激変期

栄西以来現在まで約800年の歴史の中で、碾茶、抹茶の激変期は4回ありました。

第1回目の激変は、戦国時代の覆下(オオイシタ)の発明です。
覆下の発明によって白い苦渋い抹茶から緑の美しい旨味のある美味しい抹茶に変わりました。

第2回目の激変は明治維新による需要の激減です。
維新によって、江戸時代の抹茶の需要者であった大名、武士階級が没落し、同時に宇治の茶師も没落しました。
統計史料によると京都府の明治5年の碾茶荒茶生産量は約4トンです。
碾茶仕上げにして約2トンしかありません。

第3回目の激変期は大正時代です。
大正時代には製造が手製から機械製に変わり、手挽きの茶臼から機械茶臼に変わり、碾茶流通から抹茶流通へと変わりました。

第4回目の激変期は、昭和60年以降現在もまだ続いています。
第4回目の激変期には、茶の木が在来より品種に変わり、覆下での直カブセの増加とハサミ刈り碾茶の増加、二番茶碾茶の増加、秋碾茶の出現、粉砕機利用の増加、加工用抹茶の増加など、色々な変化が起こっています。
明治5年に2トンしかなかった抹茶が、現在では約4000トン以上生産されています。
そのうち茶道用抹茶は150トンから200トンで、残りの3800トン以上が食品加工用抹茶であろうと考えられます。
抹茶の約5%が茶道用で、約95%が食品加工用として使用されています。
また、昔と同じように茶臼で挽かれている抹茶(挽茶)は約750トンで残りの3250トン以上は粉砕機で粉末にされています。
しかし、茶道用抹茶として売られている抹茶は全て茶臼で挽いたものです。
栄西以降の茶道用抹茶に限れば、現在皆さんが使用されている抹茶が品質的に一番優れているといえます。

執筆:2014年6月