手揉み製茶の歴史 10【昭和】

(86)「製茶品質に関連せる三つの問題  農林省茶業試験場 前田源吉」「京都茶業」第9巻4号(昭和2年、1927年)
前田源吉は茶の品質に関する謎(問題)を三つ挙げている。一つは茶の形状を真直ぐに伸ばして製茶しているが、そんな必要があるのか?二つめは、露西亜向製茶は米国向製茶とは反対に曲げることに苦心しているが、そんな必要があるのか?三つめは、玉露の色沢を良くする為に、味をおろそかにする傾向は良いことか?前田源吉は謎だと云いながら、最後に「而して茶の真の価値は主として香味に存する事は、更めて論ずる迄もない。」と結論を述べています。茶は真直ぐに伸ばして製茶する必然性はありません。

 

(87)「手揉製茶法の査定…京都府茶業研究所」「京都茶業」第9巻4号(昭和2年、1927年)
大正15年度京都府茶業研究所の手揉製茶法です。大正15年の宇治では、機械製茶法の発達普及につれて手揉製茶法が忘れられようとしています。手揉製法の保存の必要が書かれています。「練揉」「デングリ揉」は導入されていませんが、仕上揉が「板擦り」になっています。

 

(88)「永谷翁の功績を偲ぶ…茶業研究所の記念式にて」原崎原作「京都茶業」第10巻2号(昭和3年、1928年)
原崎原作は「揉切宇治製法の製茶が真の緑茶の風味である」と言っています。「永谷翁の製法に適う機械を発明することが御恩に報いることである。」と云っています。昭和3年当時の製茶機械は揉切宇治製法に適う製茶機械ではありませんでした。私は平成30年現在の製茶機械も永谷宗円の揉切宇治製法に適う製茶機械ではないと思います。

 

(89)「製茶法に就て」(前田源吉、大日本農会報)(昭和4年、1929年)
昭和4年の農林省茶業試験場の標準手揉製法の仕上揉みに揉切仕上、転繰仕上、板擦仕上の三方法が書かれています。

 

(90)「京都府茶業基準…茶業奨励方針」「京都茶業」第16巻第2号(昭和9年、1934年)
手揉製法…本府の方針に基く良品主義なる揉切製を主体とせる宇治製に則り大要次の如き方法による。(イ)葉乾(葉振い)20分(ロ)回転揉45分(ハ)玉解及中揚げ15分(ニ)中揉(葉揃揉切)30分(ホ)仕上揉(板摺り)25分の合計2時間15分。昭和9年の宇治製法では、回転揉の最後の練り揉とデングリ揉を行っていません。本来の宇治製法に近いと思います。京都府では大正時代に入ってから仕上揉みに「板摺り」法を取り入れた事が資料より読み取れます。38年製法で取り入れられなかった「板摺り」がなぜ京都に採り入れられ現在まで残っているのかが大きな謎として残ります。

 

(91)「茶樹栽培及製茶法」(田辺貢)269P~270P(昭和9年、1934年)
製造の骨子たる揉切は宇治に起こりたるものにして純粋の宇治製法は回転揉、仕上揉総て揉切によりたるものなり。従って助炭に鉄板あじろ等全く無く、手を合わす力のみにて揉みたるものなり。故に形伸びずして、太く稍曲がり、色沢も黒緑を帯びたるものなりしが、味に於いては現在のものの及ばざる甘味を有せり。純粋の宇治製法は回転揉、仕上揉総て揉切です。デングリ、コクリは静岡です。板摺(イタズリ)は水澤です。田辺貢は素晴らしい。出村氏より田邊氏を支持します。しかし、田辺貢も現在の製法が色沢本位、形状本位の製法に傾いていると注意を促してはいるが、現在の静岡で改良された標準製茶方法が海外輸出向けの製法であり、内地向けの製法ではないと言っていないのは気がかりです。

 

 

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