機械製茶の歴史 5【大正Ⅳ】

(76)「内田三平の摘採鋏」「静岡県茶業史続編」287p(大正11年、1922年)
大正8年(1919年)頃、内田三平により摘採鋏が考案される。摘採鋏が一気に増加し大正11年(1922年)には静岡の約7割が鋏刈になりました。摘採鋏の普及は急激でした。

(77)「第一歩から」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第1号(大正11年、1922年)
茶の改良の根本は茶種類の研究、良種の繁殖にある。大正11年になって、初めて茶の品種の研究について書かれています。

(78)「摘採問題の解決」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第2号(大正11年、1922年)
摘採問題の解決には、品種園を造ることと摘採鋏の善用が急務です。

(79)「精揉機に使用せる錘の量と製茶品質の関係」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第2号
(大正11年、1922年)
精揉機に於て錘を掛け過ぎない方が無難です。製茶法の要訣は、茶が一本一本旋転し得る範囲に於て力を緩めぬことにある。無暗に力を緩めればすべてが軽い茶になる。力を掛け過ぎれば形は扁平に味は重苦しくなると云う原則です。

(80)「製茶法二則」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第5号(大正11年、1922年)
手揉製茶でも機械製茶でも、必要以上の力を掛けることは禁物です。

(81)「思いついた儘」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第6号(大正11年、1922年)
静岡茶の品位はまだまだ埼玉、山城に及びません。静岡人は火で茶を揉むことを知って、手で揉み乾かすことを知りません。『グリ』と精揉機茶とを比較してみるに、香気の点に於て大概の場合に『グリ』の方が勝っている。力は掛け過ぎない方がよい事を証明しています。

(82)「茶業雑感」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第8号(大正11年、1922年)
製茶機械の価格が高すぎます。一連式製茶機械、連結式製茶機械の研究が必要です。

(83)「精揉機試験成績」静岡県茶業組合聯合会議所「茶業界」第17巻第8号
(大正11年、1922年)
大正11年の精揉機試験の結果は、八木式、高林式、臼井式の順でした。

(84)「茶業時評」主筆瀧閑村「茶業界」第17巻第10号(大正11年、1922年)
製茶機械の種類が多すぎます。粗揉機は51種、葉打機は38種、揉捻機は29種、精揉機は23種です。優良な品質の茶を製造するよりは、多量の茶を製造する目的で製作されています。

(85)「思いついた儘」鈴木孫太郎「茶業界」第17巻第10号(大正11年、1922年)
茶の味というものは、蒸した時に大体の価値が定まる。肥えた葉で善く蒸せば、味は善いにきまっている。茶が扁平になるまで揉めば、茶の味は悪くなるに決まっている。味としては奥行きがあって嫌味のないものが良いのは定まったことだ。此の奥行きは蒸しと肥やしにあって、嫌味は力を勝ち過ぎないようにすればなくなるものだ。冷ややかな新しい空気が揉む茶葉に絶えず接触することである。之が亦味を温和ならしむるに最も大切なことの一つである。火入も、焙炉で行ったものは、他の何物でしたものよりも味が良い。戸棚乾燥機即ち箱の形になったものでは、味がハッキリした茶にはならない。形状で販売している店は危ういが、特色(火入や風味)で販売している店は堅実です。需用者本位の研究が必要です。

(86)「北海道視察より帰りて」小泉武雄「茶業界」第17巻第12号
(大正11年、1922年)
この当時、お茶屋の看板は宇治茶でした。静岡茶拡張には、暖簾も大切です。

(87)「京都茶業を去るに臨み所感の一端」川崎正一「京都茶業」第4巻第4号
(大正11年、1922年)
静岡県の原崎式粗揉機、三重県の野呂式など一台で製茶できる機械の研究が進められています。

(88)「木製、竹製揉捻盤」「静岡県茶業史続編」288p(大正11年、1922年)
鉄板やトタン板だった揉捻盤を木材、竹材に改良する。

(89)「精揉機の木製、竹製揉盤」「静岡県茶業史続編」289p(大正11年、1922年)
精揉機は小型揉手で木製竹製揉盤が品質的に良いことが判明した。

(90)「連続式機械」「静岡県茶業史続編」289p(大正11年、1922年)
連続式機械が開発されたが一般には実用化されず、独立した個別機械を組み合わせる製造工程が発達した。

(91)「グリ茶」「静岡県茶業史続編」290p(大正11年、1922年)
グリ茶は元々粗揉機上げだった。

(92)「静岡の茶」 JK生「茶業界」第18巻第1号(大正12年、1923年)
人間の味や臭いに対する感じは触覚や視覚に比べて直感的でない。現在の茶取引や需要者の嗜好が所謂茶好きの云う内容本位に進み、外見の取引習慣を打ち毀して内容本位の取引になるならば、生産費の節減も製茶法の改良も今少し早くできます。大正12年当時も、茶の取引は外見の取引習慣でした。

(93)「此の茶業是に猛進せん①」鈴木孫太郎「茶業界」第18巻第6号(大正12年、1923年)
茶を単に飲料品として製する場合には、生産費の省略は思い切って出来る。高価な精揉機を買う必要もなければ、之を使うに堪能なる茶師を撰ぶ煩もない。之を精揉機製に見るに形を締まらす為に、或は形を伸ばす為に錘を掛け、火を強くして行くので、之に依って風味上の価値を傷つけることが少なくない。日本茶に於ける嗜好も真直ぐな形よりも優美な味に移るべき運命にあるべき筈であることを否むことは出来ない。此処に因襲的惰力と云うものが所謂形状を主としていると云う矛盾から逃れ出ることが出来ぬのである。私は思う。吾人茶業者は此矛盾を除去する為に全力を挙げて進まなくてはならぬと。茶を真直ぐに伸ばす為に風味を犠牲にする必要が何処に在るかを考えなければならない。

(94)「繰り返して思う日本茶業の改善」鈴木孫太郎「茶業界」第18巻第7号
(大正12年、1923年)
日本茶業の改善には、品種茶園と一台式製茶機械の発明が大切です。

(95)「草鞋の屑」鈴木孫太郎「茶業界」第18巻第9号(大正12年、1923年)
茶業は手揉時代、粗揉機応用時代、精揉機応用時代、摘採鋏応用時代と云う風に推移してきた。

(96)「茶業生活の将来」野呂式製茶研究所 野呂米三郎「茶業界」第19巻第1号
(大正13年、1924年)
何故に日本茶に限って形状を良くしなければ売れ行かないのであるか。印度、錫蘭、爪哇、支那の紅茶、緑茶の如き、又台湾の烏龍茶の如き、何れも形に捉われず、要は葉が柔らかで製茶として硬く締まって居れば、曲がって居ろうが、縮んで居ろうが少しも意としない。凡てが品質本位から来たものであって、これ等の売れ行きはどうかといえば、益々発展して需要が年々増加する事は事実のようである。一方我が国の如く形を整える為に巨多の経費を費やし、而も品質を粗悪ならしむる事を少しも意とせず、唯外見を飾ればそれで満足であると云う様な姑息なる方針では、日本茶業の将来は実際寒心に堪えない。


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