機械製茶の歴史 2【大正Ⅰ】

(19)「手揉茶奨励の理由…機械反対には非ず」静岡県再製茶業組合長 中村圓一郎「茶業界」第8巻第5号
(大正2年、1913年)
物価が高騰し、生産費節減のために全機械製製茶になり、製茶の品質が下落しました。中村圓一郎は「手揉の特色を保存し、一面之を機械に利用せしめ、以て製茶全般の品質を上進せしめんとするは吾人の切望する処なり。」と云っています。

(20)「研究短話」スマ生(鈴木孫太郎)「茶業界」第8巻第5号(大正2年、1913年)
粗揉機は大機より中機の方が茶の出来が良い。

(21)「研究鎖談」スマ生(鈴木孫太郎)「茶業界」第8巻第9号
(大正2年、1913年)
精揉機は手揉の転繰若しくはコクリの働きを機械化したものです。「粗揉機と精揉機の間に揉捻機以外に連絡をつける機械が必要だと思う。」と鈴木孫太郎は中揉機の必要性を明言しています。鈴木孫太郎はまた、火入れの重要性を説いています。また、「新しき空気は茶の生命を支配す…焙炉は開け放され居って、閉じた機械に勝り。揉切は始終空気に触れて、含み手の転繰より風味よく、戸棚乾燥器の干茶が隠居焙炉のそれに劣ること数等なる。」と製茶の基本を説明しています。

(22)「時感数則」鈴木孫太郎「茶業界」第9巻第2号(大正3年、1914年)
製茶機械業者が多すぎます。

(23)「研究小話」鈴木孫太郎「茶業界」第10巻第10号(大正4年、1915年)
大正4年には大機、最大機が流行ります。最大機でも八貫目入ですから30キロ機です。大正4年には現在の中揉機にあたる機械は使用されていません。同じ静岡でも駿河茶と遠州茶は品質が違います。

(24)「好況と注意」北川米太郎「茶業界」第10巻第12号(大正4年、1915年)
以前は粗揉機を使用し、手揉で仕上げした茶(半機)を機械茶と云ったが、今では全部機械で揉んだ茶(全機)を機械茶と云うようになった。第1次世界大戦の影響で印錫茶の輸出が激減したため、日本の下等茶の需要が増加した。しかし、終戦後は下等茶の需用が減少するのは明らかです。

(25)「研究短話」鈴木孫太郎「茶業界」第10巻第12号(大正4年、1915年)
外国向きは蒸過ぎぬよう。内地向きは充分な処まで蒸す。茶の風味は、一、肥、二、摘み時、三、土壌、四、地勢、五、時候、六、樹の高低、七、摘採回数の多少と云う順序で、上下左右される。タルイ味は充分に蒸さねば出来ぬと、反対にピンとした味は蒸過ぎてはなくなる。

(26)「蒸機」「静岡県茶業史正編」180p~181p(大正4年、1915年)
…蒸機は送帯式と胴回転攪拌手式が開発された。

(27)「粗揉機」「静岡県茶業史正編」182p~183p(大正4年、1915年)
粗揉機の形式はほぼ同一です。動力は手廻しや水力(水車)でしたが、その後電力や石油発動機になりました。排気装置は煙突でしたが、その後扇風機になりました。手廻し時代は生葉一貫五百匁(約5.6kg)入でしたが、生産家は大機を喜ぶ傾向があり、六貫(約22.5kg)入も制作されましたが、三貫(約11.2kg)か四貫(約15kg)が最も使い良い。

(28)「揉捻機」「静岡県茶業史正編」183p~184p(大正4年、1915年)
揉捻機は多数の機種があるが望月式が多い。初期には葉打機と連結して粗揉機の操作に代えたるものなれど、近来は他の粗揉機と配して、粗揉機に於ける揉不足を補い、水心の均一を計るに用いらるるに至れり。初期には1時間以上使用する事もあったが、近来は10数分である。揉捻機も大型化し10貫(37.5kg)入が多い。

(29)「葉打機」「静岡県茶業史正編」184p(大正4年、1915年)
葉打機も諸種あるが内容は同一である。攪拌する杓子様のものが有るものと無いものがある。

(30)「精揉機」「静岡県茶業史正編」184p~186p(大正4年、1915年)
最初に作られた精揉機は望月式である。精揉機も諸種あり、小手揉と大手揉がある。大正4,5年以降、大手揉が流行する。小手揉は品質が良い。大正元年以降、内地需要の増加により、精揉機の使用時間をやや短縮する。

(31)「揉捻機使用法」「茶業全書」194p(大正4年、1915年)
大正4年の揉捻時間は十五分間以内。ミル芽は揉捻機を使用する必要はない。

(32)「日本茶業の正道と禍根」瀧閑村「茶業界」第11巻第1号(大正5年、1916年)
日本茶が品質を主とせずして、価格を主とする傾向にあります。しかし、安い茶の供給では、支那印度地方に負けます。機械製茶が増加し、特に精揉機製が増加して、硬葉摘になって行きます。又、小製造家が減り、生葉売りが増加しています。

(33)「茶を揉過ぎに注意せよ」松下工場内製茶部「茶業界」第11巻第7号
(大正5年、1916年)
高林式製茶機械の製造販売者である松下工場内製茶部は凄いですね。今私が感じている疑問を「茶を揉み過ぎる弊」と百年以上前に看破しています。「若し過不足の何れを採るかと云えば揉み足らぬ方が良いのである。」は正解だと思います。「一般茶業者の大部分は未だ左程に感じない事で」は令和の時代になっても同じです。茶は揉み過ぎてはいけません。

(34)「機械製絶対禁止」「茶業界」第11巻第7号(大正5年、1916年)
大正5年(1916年)、狭山は機械製茶絶対禁止の姿勢です。

(35)「手揉製茶と機械応用との比較試験」静岡県茶業組合聯合会議所「茶業界」第11巻第7号
(大正5年、1916年)
比較試験では、手揉、半機、全機の順でした。全機には中揉機がまだ使用されていません。精揉機に一番問題が多いようです。製茶機械の改良発達と機械使用法の研究が指摘されています。

(36)「茶事小言」鈴木孫太郎「茶業界」第11巻第10号(大正5年、1916年)
揉捻機と精揉機は使用法によっては危険な機械です。鈴木孫太郎は「揉捻機と精揉機無くして融通がつく茶業状態を希望して止まぬ。」と云っています。


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