お抹茶のすべて 2 【和束町碾茶の現状】

皆様、こんにちは。1月号は「宇治煎茶の主産地和束町はいかにして宇治碾茶の主産地になったか」について書かせていただきました。2月号はその和束町の現状について書いてみたいと思います。



(ア) 碾茶の栽培
和束町での被覆方法はまだ直覆い(じかおおい)が多く、棚被覆は50町歩ほどです。でも少しずつ棚覆いが増えています。和束の棚は一重のものが多いようです。宇治では下骨(したぼね)の高さが、人が手を伸ばして荒縄を結べる高さで2メートルから2.2メートルあります。
和束町で使用している直覆いの寒冷紗の遮光率は85%が多いようです。1芯2葉の時に直覆いをするのが基本で、それより早いと芽伸びが悪く収量が少なくなります。それより遅いと収量は増加しますが、染まりが悪く品質が落ちます。
被覆は茶の木に大きなダメージを与えますので、1茶も2茶も品質の良い碾茶を作ろうと毎年長期間遮光率(しゃこうりつ)の高い被覆をかけ続けると、茶の木が痛み品質が悪くなり、収量も減少してしまいます。1茶で収量が多くて高単価の茶園では2茶は摘採しないで茶園を休ますとか、何年か被覆を続けたら、次は露地煎茶にして何年か休ませるとかの工夫が必要です。
次に肥料ですが、平均反当り700kg生葉を取るのですから煎茶園の肥料より多いのが普通です。
和束では平均で窒素肥料を反当たり100キロはやっているでしょう。窒素肥料が少ないと碾茶特有の風味が生まれません。
手摘みの宇治では窒素肥料平均150キロを超えていると思います。肥料は色々な品質、単価のものがあるので一概には言えませんが、金額にして粗収入の2割以上を茶園に帰してやるのが基本だと思います。
粗収入の1割以下にしますと、生産家個人は儲かりますが、茶園が次第に衰え、品質と収量が低下します。1茶ハサミ刈碾茶の被覆期間は20日間から30日間が多いようです。
中には和束町ではありませんが1茶のハサミ刈碾茶で被覆期間が50日間、60日間以上というのもあります。しかし、ハサミ刈ではありますがこれは一重か二重の棚被覆の碾茶で、直被覆では1茶40日間位が限度だと思います。50日間、60日間被覆をすると茶園は非常に痛みますので、50日間、60日間被覆される茶園では手摘みの番刈りよりは高い位置ですが、腰の高さくらいに茶園の台を落して樹勢の回復に努め、2茶は採りません。60日間被覆と言っても、最初から95%に遮光するのではありません。
最初から95%遮光を60日間続けますと茶の木は枯れてしまいます。60日間の遮光日数でも、1重棚なら最初は筋掛け、次は85%を全面に拡げ、最後の1週間から10日間薄い布をかけて95%遮光にするといったように、徐々に遮光率を上げて行きます。2茶ハサミ刈碾茶の被覆期間は10日間から20日間が多いようです。
2茶の栽培期間は梅雨に重なることが普通なので、雨天や曇り続きで日光が射さないと被覆期間が長くても染まりの悪い製品になります。2茶碾茶で被覆期間を延ばしてキロ3500円以上の上質な2茶碾茶ができたとしても、これを続けると来年の1茶に悪影響を及ぼして、肝心の1茶の単価と収量を落としてしまいます。2茶碾茶は、毎年高い品質の茶を追い求めるより、茶園の健康に配慮するほうが得策だと思います。

(イ) 品種
和束町単独の品種別碾茶生産量の統計はありませんが、私が独自で調査した資料(抹茶の研究81ページ)によると、京都府下の1茶碾茶ではヤブキタ52%、オクミドリ19%、サミドリ10%、在来5%、サヤマカオリ4%、ゴコウ3%、コマカゲ、カナヤミドリ、アサヒ、ウジミドリ、ウジヒカリ各1%、その他(ヤマカイ、サエミドリなど)2%となっています。両丹地域のようにヤブキタ一辺倒で碾茶生産を行っている地域もありますが、
多様な品種を持っている方が碾茶生産には有利だと思います。和束町が碾茶生産に成功したひとつの要因はオクミドリ、サミドリを初め多様な品種を持っていたからです。製茶時期の初めは早生品種で煎茶を生産して、煎茶の単価が下降する中山前から碾茶生産に切り替えるのが良いと思います。覆いが良く効いて、品質が良く、反当たりの収量が多いオクミドリ、サミドリをうまく組み合わせるのが、成功のカギだと思います。

(ウ) 摘採
和束では乗用摘採機が使えないために、ほとんど全てが二人用可搬式摘採機によるものです。手摘みはほとんどありません。宇治の手摘みの摘み賃は、生芽1キロで400円内外ですから碾茶にしますと2000円から2500円の費用がかかっています。ハサミ刈碾茶の製造費は手摘みに比べて約2000円安くつくことになります。和束町の1茶碾茶の反当りの生葉生産量は400キロから1000キロくらいで平均すると700キロくらいです。2茶碾茶の生葉生産量は1茶より少なく平均500キロです。和束町の1茶碾茶の生産時期は5月15日から6月15日位の30日間で煎茶より約2週間遅く始まります。2茶碾茶の製造は6月20日から7月20日頃までです。

次のページに続く


脚注・解説:

⑥直覆い(じかおおい)
碾茶の覆いには棚覆いと直覆いがある。覆い下栽培の始った安土桃山時代から昭和40年頃までは全て棚覆いであったが、昭和35年頃から愛知県西尾で直覆いのハサミ刈碾茶の生産が開始される。京都に於いても、昭和60年頃より直覆いのハサミ刈碾茶が増えだした。現在全国で生産されている碾茶の95%以上が直覆いのハサミ刈碾茶である。碾茶の製品の品質は、直覆いより棚覆いの方が格段に良質である。しかし、棚の設備には反当り200万近くかかるので、初期投資が大変である。直覆いと棚覆いの一番の差は温度にあると思う。直覆いだと外気が30度になれば寒冷紗の下も30度になるが、棚覆いだと棚と新芽の間に空気の層があるために、外気より3~5度は低い温度になる。これが品質、特に香気、葉の柔らかさに影響を及ぼす。芽重型の軸の太い葉っぱが柔らかくて大きい、旨味ののった、香りのよい茶がつくれるのが棚覆いである。

⑦下骨(したぼね)
碾茶の棚覆いは大きく分けて葦簀(よしず)と稲藁をもちいる本簀(ほんず)と化学繊維である寒冷紗と鉄パイプなどを使用する棚被覆がある。安土桃山時代以降、寒冷紗が開発される昭和40年代までは、全ての覆いが本簀だった。その本簀のヨシズや稲藁を載せる柱と梁が下骨(したぼね)で、ナルと呼ばれる檜丸太とトオリ、コロ、コロバカシなどと呼ばれる竹を荒縄で括って作られる。現在では、コンクリート柱や鉄パイプ柱、パイプ梁を使用した永久棚が多くなり、京都でも下骨からやる農家は2,3軒になっている。