お抹茶のすべて 3 【抹茶(碾茶)の歴史…その1「栽培」「品種」】

皆様、こんにちは。1月号は「宇治煎茶の主産地和束町はいかにして碾茶の主産地になったか」、2月号は「和束町碾茶の現状」について書かせていただきました。3月号から3,4回は「抹茶(碾茶)の歴史」について書いてみたいと思います。


はじめに
抹茶・碾茶の歴史を編年体で書くとなると記述が非常に難しく私の力では到底書くことが出来ませんので、ここでは紀伝体で書かせていただきます。
表1は抹茶、碾茶がいつの時代にどのように変化して現在に至っているかを10の項目別に一覧表にしたものです。抹茶、碾茶の10項目の変化を理解することは、抹茶、碾茶を理解する上で,又抹茶の歴史の理解の上で大きな助けとなるでしょう。表1で網かけの部分が重要な変化の起こった時代です。戦国、安土桃山時代に1項目、大正時代に4項目、昭和時代に4項目の変革がなされています。安土桃山時代、大正時代、昭和時代に注目してお読みください。

抹茶の歴史と文化

*クリックすると別画面で拡大表示されます。

1、栽培

(1)栽培の歴史
抹茶は元から日本にはあったものではなく、中国より伝来したものです。今から約800年前、臨済宗の開祖栄西は北宋の喫茶文化であった点茶法(抹茶法)をわが国に伝え、「喫茶養生記」という茶書を著しました。
栄西が伝えた頃の栽培方法は露地栽培で、茶園を覆いで覆う覆下栽培はなされていませんでした。露地栽培のためにその当時の抹茶は色が白く苦渋味の強いものでした。
「喫茶養生記」に「茶は養生の仙薬なり」とあるように、仙薬として入ってきた茶は決して美味しいものではなく、「良薬は口に苦し」の苦い渋い飲み物だったようです。
栄西が伝えた抹茶法のお茶の産地で有名になったのは栂ノ尾です。1207年頃、栄西より茶の種子を送られた栂ノ尾高山寺の明恵上人は、その種子を京都の北、栂ノ尾の深瀬三本木に植えました。
これがその後「本茶」とされる栂ノ尾茶の始まりです。明恵上人は1217年に宇治五ケ庄に栂ノ尾茶を分け植えたという伝承があり、これが宇治茶の始まりとされています。
その後、仁和寺、醍醐、葉室、般若寺、神尾寺はじめ大和、伊賀、伊勢、駿河、武蔵にも移植したと伝えられています。
室町時代に流行った「闘茶」「茶寄合」では、栂ノ尾の茶を「本茶」とし、宇治などそれ以外のお茶を「非茶」としてお茶の飲み比べが行われました。
露地栽培だった碾茶栽培が覆い下栽培に変化したのは、戦国時代から安土桃山時代にかけてと思われますが、「何時、誰が始めたか?」を証明する歴史資料はありません。しかし、ポルトガルの宣教師ジョアン、ロドリーゲスの著した「日本教会史」によれば天正年間(1573年~1592年)、宇治において覆い下栽培は一般化されており、織田信長、豊臣秀吉、千利休は緑の美味しい抹茶を飲むことができたのが分かります。
中国には覆い下の栽培はなかったので、覆い下栽培の碾茶、抹茶は日本独自の発明だということができます。
最初、覆いの発明は宇治の碾茶生産家が新芽を霜の被害から守る目的から始められたと考えられていますが、覆いの効果は霜よけだけではなく、抹茶、碾茶の品質に絶大な効果、変化をもたらしました。茶園を直射日光から遮ることによって、新芽は葉緑素を増加させ緑豊かな新芽になります。
また、日光を受ける面積を少しでも増やそうと新芽の表面積を増やし、柔らかく、葉薄く、緑の濃い碾茶に適した新芽になります。また、根から吸収された旨みの元であるアミノ酸類がカテキンに変化する割合が少なくなり、旨みに富んだ味になります。また、覆い下栽培によりジメチルスルフィドという覆い香が生み出され、香りの豊かな飲み物になります。
それまでの白く苦渋い抹茶が緑色の美しい旨味のある抹茶になりました。安土桃山時代に茶道が完成し、茶の湯文化が花開いた要因の一つは、覆い下栽培の発明により抹茶碾茶の品質が飛躍的に良化したことであると考えられます。
安土桃山時代以降現在まで日本の碾茶栽培では覆い下栽培が続いています。覆い下栽培の基本は本簀(ほんず)です。茶園にナルという檜丸太を立てます。そのナルに竹を人が手を伸ばした高さで結びます。
その上に葦で作った簀をのせ、簀の上に稲藁を振って本簀の完成です。遮光率は約95%以上になります。
化学繊維の寒冷紗ができる昭和40年代まで,覆いは全て本簀の棚覆いでしたが、現在ではほとんどが寒冷紗の棚覆いです。
第2次世界大戦後、食品加工用抹茶として単価の安い抹茶の需要が増加しました。そのために茶園に直(じか)に化学繊維の寒冷紗を掛ける覆い方法が昭和35年頃より愛知県西尾で始まりました。それが直覆い(じかおおい)です。
現在日本では、棚覆い栽培が約1割で、直覆い栽培が約9割です。棚覆いの摘採は手摘みとハサミ刈がありますが、直覆いはすべてハサミ刈による摘採です。

(2)覆いの費用
1反の茶園を直覆いする場合、1反の茶園の長さ550メートルから600メートルの寒冷紗が必要です。寒冷紗の幅は2メートルのものが多いようですが、それ以下もそれ以上もあります。遮光率は70%くらいから95%くらいまで色々ありますが、85%が一番多く使われているようです。
1反分の寒冷紗の価格は品質と会社によって違いますが、85%×2メートル×600メートルで15万円から30万円で平均約20万円くらいだと思います。
1反の茶園を棚覆いする場合、茶園の形や傾斜等条件によって異なりますが、鉄パイプなど下骨材料と寒冷紗などで、1重棚だと約130万円、2重棚だと約200万円かかります。施工を業者に委託しますともっとかかります。

次のページへ続く