精揉機の魅力(8-1)

1月号は「永谷宗円」「青製」「木枠助炭」、2月号は「手揉手法の進展」、3月号は「全国各地の製茶」、4月号は「茶業統計」、5月号は「米国における日本茶」「明治時代の製茶機械の発展」、6月号は「精揉機が普及した時代」「大正10年の式名別機械台数」「大正時代の製茶機械の進展その1」、7月号は「大正時代の製茶機械の進展その2」について調べました。8月号は「大正時代の製茶機械の進展その3」を調べます。


「14」「大正時代の製茶機械の進展その3」(大正10年~大正11年)

(40)静岡県茶業組合聯合会議所は「茶業現況宣伝」「茶業界」第16巻第3号(大正10年、1921年)で次のように書いています。
大正十年、静岡県茶業組合連合会議所は危機突破の為にハガキと宣伝ビラを配布しました。その内容は「生産家は若芽摘、商人は性を買え」「揉捻機は十分以内、精揉機も努めて短く」「下茶を造って儲ける人は茶業を滅ぼす敵と知れ。」というものでした。此の中で「揉捻機は十分以内、精揉機も努めて短く」は、これまでの静岡県の製茶が海外向で揉捻機を十分以上、精揉機を長く使用して形状を細く味を渋くする製茶をしていたということです。
危機とは何かというと海外輸出の激減です。大正3年(1914年)から大正7年(1918年)まで第1次世界大戦が起こります。主戦場はヨーロッパでした。アメリカに輸出された茶の内、中国、インド、セイロンの茶は輸送が困難になり輸出数量が激減します。そのために日本茶の輸出は激増し、第1次世界大戦中の大正6年(1917年)には安政6年以来過去最高の30369トンもの日本茶が輸出されました。
日本中が好景気に沸き、とりわけ静岡の茶業界も大いに潤いました。大正4年(1915年)の静岡県の全機械製製茶は33%でしたが、5年後の大正9年(1920年)には62%に急増しています。第1次世界大戦のおかげで静岡の製茶機械化は急速に進んだのです。
第1次世界大戦の影響で、アメリカでの競争相手のいなくなった日本茶は大量につくれば、品質が悪くても売れるという状態になり、大型機の精揉機で揉んだ粗悪な品質の茶が増産されました。
大正7年に第1次世界大戦が終結すると、それ迄止まっていたインド、セイロン、中国の製茶が一斉にアメリカに輸出されるようになり、粗悪茶を輸出していた日本茶は一挙に輸出不振になります。第1次世界大戦後の大正9年(1920年)の輸出量は11897トンで、大正6年(1917年)に比べて60%減になっています。この危機を乗り切る為に、静岡県はこれまでほとんど目もくれなかった国内市場の開拓に乗り出します。
第1次世界大戦以前の国内市場は、台湾、朝鮮半島、満州、中国を含め、ほとんど全国を京都の宇治茶が市場を独占していました。埼玉、東京、長野、新潟などごく一部には狭山茶の看板がありましたが、その他ほとんどの地域のお茶屋は「宇治茶」の看板を掲げていました。海外輸出が不振になった静岡は国内向け製茶に力を入れ出します。
静岡県茶業組合聯合会議所が、「生産家は若芽摘、商人は性を買え」「揉捻機は十分以内、精揉機も努めて短く」「下茶を造って儲ける人は茶業を滅ぼす敵と知れ。」と言う危機突破の宣伝を行った理由は、静岡県はこれから国内市場に力を入れますという事です。「生産家は若芽摘、商人は性を買え」とは、これ迄生産家は硬葉摘みをして大量の粗悪茶を製造していたけれど、これからは若芽摘みをして、良質茶の製造をしなさい。商人は性(しょう)=品質を見て国内向けの茶を買いなさいと云う事です。
「揉捻機は十分以内、精揉機も努めて短く」ということは、輸出向け製茶は茶を硬く細く渋くするために揉捻機は十分以上、精揉機も長い時間をかけて揉んでいたのですが、揉捻機も精揉機も努めて短くしないと国内向けの良質な製茶はできませんよと云う事です。川崎正一が大正10年(1921年)の京都府製茶方針で、今の精揉機と揉捻機は品質を損するので使用しない事を求めているのと合致します。

(41)瀧恭三は「製茶機械革新に就いて…精揉機」「茶業界」第16巻第5号(大正10年、1921年)で次のように書いています。
「今日の精揉機は正しく只茶を緊捻すると云う一点にのみ重きを置かれたもので、何人が如何に使用しても必ず相当の形状は出来るが、一本一本に茶が転動する理合の少ない事が大なる欠点である。…精揉機茶の大欠点としては、青臭くして味の薄弱な事である。…精揉機茶には欝臭即ち機械臭が付着する事は免れぬ。その構造も現在のものは何式たるを問わず、揉捻板は湾曲して、之に横に波状を付し、その上に茶を抱擁する揉箱を有し、之に圧力を加え、熱は揉捻板の外の下部より与えている。今日の精揉機は何れも皆此の範囲内に於て互いに相争って、此処彼処を少しずつ改良しているに過ぎない。吾人は今後に於ては、どうしてもこの形態の範囲を解脱した精揉機が出現さるるでなければ、今後何年を経ても機械茶は大した発達を見る事は出来ぬように思われる。而してその理想たる機械臭即ち鬱臭はどうして除去すればよいか、之が今後の大問題でなければならぬ。」
今の精揉機は茶を緊捻すると云う一点にのみ重きを置いた機械です。瀧恭三はこれまでの形態の範囲を解脱した精揉機の出現を期待しています。しかし、令和5年の現在に於ても、それは実現されていません。機械臭=鬱臭の除去が大問題です。


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