精揉機の魅力(6-2)

「12」 「大正時代の製茶機械の進展その1」

(28)柴田雄七は「手揉み製茶から機械製茶へ」(平成12年、2000年)で次のように書いています。
「大正元年(1912)の静岡県製茶機械台数は総数1万2千420台、その内粗揉機1万143台、揉捻機1,462台、葉打機746台、精揉機はわずかに69台でした。
純手揉み製法は労賃、燃料等諸物価の高騰のために益々減退し、手廻し式粗揉機応用の半機械製が急激に普及し始めました。精揉機は望月式、臼井式が先に開発研究されましたが実用化は進みませんでした。明治44年に由比町 望月恵吉の発明によるケイエム式精揉機を小鹿茶研究所が試験したところ良い成績でした。
明治45年一番茶に庵原郡地方の生産家により実地に使用して相当の成績を収めたので、一般に注目が集まり、此れと前後して臼井式、栗田式、高林式、八木式、橋本式、竹田式、丸茶式、丸竹式、服部式等の発明家の手に成る精揉機が続出して普及台数も急激に増加し始めました。…揉捻器使用時間試験(望月式椀型)では、5分間以上使用すると製茶品質を悪変する、みる芽原料には使用しないことが報告されています。…大正元年以降の精揉機普及台数についてみると、当初69台に過ぎなかったものが、翌2年には217台、3年度は828台、4年度は1853台、5年度には2,670台と増加しました。ちなみにこの時の組揉機台数は、12,077台、揉捻機は3,058台でした。
県下の緑茶製造比率は、大正7年(1918)には精揉機を応用した全機械製が59.9%、半機械製(半手製)は22.7%、純手揉製は17.4となっていました。かつて実用が難しいとされていた精揉機がここに来て急激に普及し始めた要因としては、従来粗揉機から茶葉が直くに精揉機に投入されたため、水分量の多い茶葉では精揉操作が困難でした。ところが、動力機の導入により揉捻機が使用されるようになり、粗揉機より取り出した茶葉は揉捻機で揉まれ、さらに再乾機に投入されて乾燥した水分含量の最適なものが供給されて、精揉機における整形操作が容易になり製茶の品質が格段に向上したことが第1の要因です。ついで、大正3年(1914)に第1次世界大戦が起こり日本茶貿易もこの影響を受け、大正6年(1917)には未曾有の輸出数量に達しました。約6,700万ポンド(3万トン)という膨大な数量の茶を生産するには手揉みに頼っていたのではどうにもなりません。機械製茶と鋏摘みは、このような量の茶を生産する上に必至のことがらといえます。それよりもなお重要で本質的な理由は、第1次世界大戦による空前絶後の日本茶輸出の好況がもたらした利潤にあります。全茶業者を潤した利潤の1部は消費にあてられ1部は資本としてふたたび茶業に投下されました。茶業者をして製茶機械を購入させ、手揉製茶を機械製茶に変えさせる原動力となりました。」
精揉機は大正時代に爆発的に増加します。その重要で本質的な理由は、第1次世界大戦による空前絶後の日本茶輸出の好況がもたらした利潤にあります。


(29)「静岡県茶業史正編」184p~186p(大正4年、1915年)には次のように書かれています。
「精揉機…精揉機の最も初めに製作せられたるは望月式にして、臼井式之に次ぎ、ケーエム式、合同式あり、ついで高林式、栗田式、八木式、竹田式、橋本式、丸茶式等続出せり。而して最初に制作されたる機械は揉手小さく、之に使用する揉手も亦重からざりしが、大正4,5年以降大手揉と称し、揉手一つに付き製茶五百匁乃至七百匁位まで仕上ぐる機械を歓迎する傾向生じ、以て今日に至れり。小手揉装置のものに八木式、第一臼井式、高林式五手等あり。其工程他の機械に比して鈍しと雖も、製茶の品質は何れも優良にして専ら小笠、榛原、志太地方に於いて使用さる。栗田、橋本、高林式大手揉装置、第二臼井、竹田の諸式も亦夫々特徴あり。之等は大抵大手揉にして、県下各郡を通じて粗放的生産家によりて愛用せらる。精揉機の揉台は鉄板もしくは、亜鉛板の上に更に竹を張りたるものを用い、以て揉みつつある茶葉に過度の温度の加わらざる様になしたるものなれど、大正4,5年頃、裾茶の売行良好なる頃よりして、燃料の経済を計り或は工程を促進せしむる為にとて揉台に金属を用いるものあり。」
最初に作られた精揉機は望月式です。次に臼井式、ケーエム式、合同式、ついで高林式、栗田式、八木式、竹田式、橋本式、丸茶式等が続きます。大正10年には24機種ありました。精揉機には、小手揉と大手揉があります。小手揉は品質が良いのですが、大正4,5年以降、海外輸出用の大手揉が流行します。又裾茶が売れるので、揉台に金属を使用する機械もあります。国内用製茶は内地需要の増加により、精揉機の使用時間をやや短縮して、後は乾燥機で乾燥するようになりました。


(30)鈴木孫太郎は「茶事小言」「茶業界」第11巻第10号(大正5年、1916年)で次のように書いています。
「製茶機械の能力は硬き葉を原料として製造する時により多く発揮される。しかし、危険は茲に生ずるのである。揉捻機と精揉機は驚くべき仕事をなす機械である。精揉機の長所は茶を撚ることにある。作業中、蒸熱(ムレ)を来すことは、製作者の憂うる所ではない。寧ろそれを助成して、形状の緊撚を計らんとする向きもある位である。転繰の理を応用し、茶葉の回転を頻繁ならしめ、その撚れ形は生葉自身の素質に任せつつ、香気水色の失墜を防ぐ底の考案は、製作者に於いて深き注意を払う事少なく、之あるも使用者に歓迎せられて居らぬ。之が精揉機に対して危険に感ずる点である。」
鈴木孫太郎は、製茶機械の能力は硬き葉を原料として製造する時により多く発揮される。揉捻機と精揉機は使用法によっては危険な機械だと云っています。


(31)臼井喜市郎は「製茶と製茶機械…精揉機」「茶業界」第12巻第8号(大正6年、1917年)で次のように書いています。 「精揉機は正しく物を緊捻する理合を備えている。熱度と圧力との加減を甚だしく誤らざる以上、多少不合理の機械でも、誰が如何に使っても必ず相当の形状は出来る。何故精揉機は物を正しく捻る事が出来得るか、今一、二の理合を概説すれば、一、自然的に葉揃が出来る運動関係を有すること。二、揉捻掌が秩序整然として往復運動をなし被捻集合体の各粒子に自転動を起さしむること。…粘り気の多い中は圧力を少なくして(転繰が一団となるを防ぐ為)玉にならず度合に乾燥し、力の出盛った頃はあらんかぎりの力を加え、乾燥度が進んでゾロゾロする気味合が見えたらある力を減じ、転繰が平たくならぬ様注意する事が肝要である。此の原理と働きを会得すれば、暗夜に使用しても茶は自然に出来る訳である。」
臼井喜市郎の精揉機理論です。精揉機は正しく物を緊捻し、相当の形状を造ります。


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