精揉機の魅力(7-2)

(38)桑原雨蛤は「茶事小話」「茶業界」第15巻第8号(大正9年、1920年)で次のように書いています。
「精揉機は今日迄随分沢山種類はあるが殆んどその形が一定している。精揉機が手揉に比較して欠点とする点は掴手(つかみて)が固定した機であるから、手の場合の様に手触り手加減に依って力を左右する事がないから、形を造る場合には無理にも造って終うから加減が少しもない。そして、掴手が人間の手の様に乾くに従って葉を強く持つとか、回転を少なく、含みを持たせるとか云う事がないから、初めの内からどうしても形状を造るべく掴手が働くので、如何にも品質が悪くなる様であるから、使用中は常に水心と火度とを察して、或る場合には含みの内へ風を送る様にするとか、運動の距離を少なくするとか、掴手を小さくする様加減する事が必要の事と思う。」
「含みの内へ風を送る。運動の距離を少なくする。掴手を小さくする様加減する。」など、精揉機は改善する必要があります。

(39)臼井喜市郎は「精揉機使用製茶の香味を上進せしむる方法」「茶業界」第15巻第9号(大正9年、1920年)で次のように書いています。
「我が茶業界各種の精揉機ありと雖も、多くは形状を造るの機械にして、品質に至っては未だ理想に達する事能はず。精揉機に於て何故理想の品質の茶が出来ざるか、原因として数えるべきものの内、主なる数種を掲げ、之を土台として品質の向上に論及せんとす。一、手製に於ける紙助炭の如く、熱量を絶えず透す事の出来ざる金属製の釜内にて操作される事。二、紙助炭は熱気の可透性にして伝熱度低きに、精揉機の釜は熱不可透性にして伝熱度高き事。三、茶の最も嫌う金属と絶えず接触し居る事。四、助炭に比し機内に熱気籠り勝ちなる事。五、手製に比し茶の含む熱度が絶えず高き事。以上述べるが如き原因により、現在使用される多くの精揉機に於ては、理想の品質の製茶を望むは先ず不可能なりと云わざるべからず。さり乍ら、茲に注意すべきは精揉機より取り出したる後の取り扱いにより、或る程度迄品質を回復する事の絶対不可ならざるにあり。精揉機の作業を少し早く切り上げ乾燥すれば、一層良好なるを認める。此の事実によって窺う時は、精揉機に於て害する作業の半ば以前、即ちネバリ気多く、塊になりたがる時期のみにあらずして、サラサラする程度に乾燥し、予定の圧力を加える時期以後にも、亦害質する事の少なからざるを認めざるべからず。以上の実験を基礎とし、事情の許す限り若上げして、最善の乾燥方法をとれば、既に死滅せんとする品質の余命を蘇らす事の不可能ならざる事を連想するに難からず。前述の如く少し若上げとなし、右の方法を採れば、香気は勿論味に於ても、在来のあらゆる方法を施したる製法に優る事数等にして、精揉機製茶の欠点とする所謂悪臭等更に認める事能はざる迄に、品質を向上し得られる事信じて疑はざる所なり。」
精揉機に関する臼井喜市郎の考察です。精揉機は形状を造る機械にして、品質に至っては未だ理想に達する事は出来ていません。その理由は一、手製に於ける紙助炭の如く、熱量を絶えず透す事の出来ざる金属製の釜内にて操作される事。二、紙助炭は熱気の可透性にして伝熱度低きに、精揉機の釜は熱不可透性にして伝熱度高き事。三、茶の最も嫌う金属と絶えず接触し居る事。四、助炭に比し機内に熱気籠り勝ちなる事。五、手製に比し茶の含む熱度が絶えず高き事です。事情の許す限り若上げして、最善の乾燥方法をとれば品質を保たすことが可能だと臼井は云っています。



臼井喜市郎…臼井式製茶機械、理論家
明治5年(1872年)榛原郡五和村生れ。製茶機械の発明を志す。明治29年(1896年)に葉打機、揉捻機、仕上機を発明し、明治31年(1898年)に特許権を得る。明治33年(1900年)には臼井式精揉機の試験が行われた。望月発太郎の望月式と並んで臼井式は精揉機の魁であった。
その後、富士合資会社に入り、原崎源作の下で6年間製茶の研究、機械化を進めた。臼井は製茶器械を研究開発するだけでは無しに、「茶業界」誌に製茶理論と製茶機械理論を数多く書き残しています。



瀧恭三(瀧閑村)…「茶業界」誌主筆、「静岡県茶業史」正編編纂委員会委員長
静岡県茶業組合聯合会議所が発行する「茶業界」誌は、明治43年(1910年)に飯田栄太郎が主筆を務めていた「茶業の友」其の他を合併して創刊されました。よって、「茶業界」の創刊号は第五巻になっています。第5巻の主筆は高木来喜でした。
大正2年(1913年)に瀧恭三が主筆になり、以来「茶業界」誌が廃刊になる昭和15年(1940年)までの27年間「茶業界」誌主筆を務めました。大正2年より昭和15年まで27年間で発行された315冊には、静岡茶業を牽引するべき「茶業界」誌主筆瀧恭三の的確な論説と熱い心が込められていると思います。その間、大正15年に静岡県茶業組合聯合会議所より発刊された「静岡県茶業史」正編の編纂委員長を務めています。
編纂委員には飯田栄太郎、鈴木孫太郎がいました。高林謙三、杉山彦三郎、多田元吉は勿論素晴らしいのですが、あまり知られていない瀧恭三、飯田栄太郎、鈴木孫太郎、川崎正一の業績をもっと知ってほしいと思います。




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