焙じ茶の研究③

(11)川柳の仕立方

私が茶業に入った昭和48年(1973年)当時、「柳製」の荒茶は存在しました。
「柳製」の荒茶の多くは、一番茶の製茶時期の最終版に製造される茶で、ほぼ在来品種(雑種)でした。裏返った葉の混じる茶で、十番で抜いてもほぼ抜けない、ほとんどが網の上に残る太くて軽いお茶でした。
昭和の時代には、卸でも小売りでも「川柳」「青柳」は良く売れましたが、現在ではほとんど需要がありません。この川柳、青柳について書かれた本や論文は殆ど見たことがありません。
昭和初期に大阪の松本軒茶舗が発行した「製茶のしおり」に「ハ、煎茶ノ製法及青柳、川柳ノ区別」があります。図4によれば、五葉の内、1,2、3葉が煎茶本茶になり、4葉と5葉と茎が青柳や川柳になります。荒茶100kgから青柳、川柳は35kg取れます。残りは、本茶50kg、炉粉10kg、仕立粉5kgです。青柳、川柳は煎茶を仕上げる時の出物(でもの)だったのです。「青柳は山城産の煎茶出物(5月25日頃迄の製品)及玉露の末期出物及滋賀県産(信楽、朝宮)の最優品より選別したるものにして、川柳に比して色沢青く、形状小さく、香気優秀。煎茶に比して味は淡泊。」「川柳を上川柳、中川柳、並物に区別します。上川柳は山城産煎茶(5月20日以後)及滋賀県山間部の優良品、奈良県産最優良品(5月中旬までの製品)中より選別されたるものにして、青柳に比して多少褐色、形状稍々大きく、古葉を混入す。中川柳は山城産(末期もの)、滋賀県奈良県産(5月25日頃迄)、又静岡産は最優良品中より選別され、形状大きく、古葉、木茎の混入多く、黄褐色なり。並物は奈良県、滋賀県、静岡県産にして形状粗大にして古葉、木茎の混入多く黄色なり。」「近年、川柳の需用多く、ために煎茶を選別せず、大型の煎茶をそのまま川柳代用として使用す。」と書かれています。
昭和初期まで川柳、青柳は煎茶の仕上げの時に選別されたお茶でしたが、昭和初期より川柳の需要が多くなり、末期の大型の荒茶から煎茶を選別せず、そのまま川柳として使用するようになったと書かれています。昭和初期に何故川柳の需要が多くなったのかは書かれていませんが、森永「宇治かおる」以降の焙じ茶の流行により、焙じ茶原料として川柳の需要が多くなったと考えられます。

図その4 「製茶のしおり」 松本軒茶舗 (昭和初期)
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(12)川柳製の荒茶が無くなった訳

川柳製の荒茶が生産され無くなった訳の第一は茶園の品種化です。茶業統計による茶園の品種化率は、昭和45年(1970年)29%、昭和50年(1975年)43%、昭和55年(1980年)57%です。品種は80%以上が「やぶきた」です。私が茶業に入った昭和48年(1973年)当時は在来実生(雑種)の茶園がいっぱいありました。どの生産家も価格の良い「やぶきた」から製造を始めます。価格の安い在来は後回しにされる為に、終盤の茶は硬葉化した大型の在来ばかりになりました。第二は製茶機械です。当時の製茶機械は35k機、50k機が主流で現在のような大型機械はありません。どうしても、終盤の硬葉化した大型の生葉を細く揉むことが出来ず、裏返った茶がまじる大型の軽い荒茶が出来てしまいます。現在では99%以上が品種茶園で早生、中生、晩生が揃っているので、硬葉化した大型の生芽自体がありません。最終版の荒茶でも、頭柳が取れる荒茶は非常に少なくなってしまいました。


(13)焙じ機

図その5は、昭和5年(1930年)、「茶業界」誌第25巻に掲載された「藤波式ほうじ機」の広告です。「ほうじ機」の広告の嚆矢です。500匁(1875g)が凡そ10分間で焙じ上る店頭用の焙じ機です。
問屋用の大型焙じ機より店頭用の小型焙じ機の発売の方が早かったと云う事は、大正時代、昭和初期には、現在のように焙じ茶は産地問屋で製造され、消費地の小売店に送られ消費者に販売されるのではなく、産地から送られた川柳や青柳を焙じ茶原料として、消費地小売店が製造するのが普通だった事が分かります。
明治時代に焙じ茶を作っていたのは消費者です。大正時代から消費地小売店が焙じ茶を各店で製造するようになりました。産地の問屋で焙じ茶を炒って、小売店に卸すようになるのは戦後になってからの様です。焙じ茶の製造者は、最初は消費者、次は茶小売店、今は産地問屋へと移り変わっていったことになります。


図その5 「茶業界」誌第25巻(昭和5年、1930年)に掲載された「藤波式ほうじ機」の広告です。


(14)現在の焙じ茶原料

現在、焙じ原料として使われている茶は、刈り直し(初茶番、親子番、初茶番)と呼ばれるお茶で、一番茶摘採後に二番茶の台を作る作業に時に刈った茶を製造したものです。この内、一番茶の遅れ芽だけを製造したものを芽番(めばん)と言います。
一番茶を刈る時に摘採機を浮かして刈った場合、残った一番茶の裾葉(子)と遅れ芽(子)と古葉(親)の一部を一緒に刈って製造した刈り直しを親子番と言います。この外、二茶の刈り直し、秋整枝の時の秋番、春整枝の時の春番などが焙じ茶の原料になります。川柳、青柳などの頭柳も焙じ原料ですが、使用量は限られています。
同じ刈り直しでも、被覆をした煎茶やかぶせ後の刈り直しは焙じ原料としては、良くありません。焙じ色が黒く、香りが良くないからです。露地栽培の煎茶でなるべく標高の高い産地の刈り直しが焙じ原料として最適です。

桑原 秀樹
2022.05.29


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