お抹茶のすべて 10-2 【「簀下十日、藁下十日」の研究】

(2)昭和、平成時代の茶書の覆下栽培の解説
(ア)「茶の育成診断と栽培」
昭和50年(1975年)発行の「茶の生育診断と栽培」で、大石貞男は「よしずをひろげる時期は、茶芽が三センチ、すなわち本葉が二~三枚開いたときで、このときが、宇治では摘採20日前くらいにあたる。よしずをひろげて十日たつと、よしずの上にわらふりをする。わらふり後十日ごろから摘採をはじめるのである。
これを昔から「す下十日、わら下十日」といい、本ず玉露というのである。」と書いています。しかし、よしずを広げる時期は「本葉が二~三枚開いたとき」にしますと収量は増えますが品質が低くなるため、昔は理想的には「一心一葉から一心一・五葉期」によしずを広げたり、上段の寒冷紗を広げました。現在の実際は、霜害が怖い為に、萌芽前後によしずを広げられることが多いようです。
大石貞男は「わらふり後十日ごろから摘採をはじめます。これを昔から「す下十日、わら下十日」といい」と「す下十日、わら下十日」は茶摘み始めの目安と解説していますので、正しい解説です。摘み始めの被覆期間が20日間で、それ以降の被覆期間は20日間以上になるということです。

(イ)「緑茶の事典」
平成12年(2000年)発行の緑茶の事典では、「日射光を遮って新芽を生育させる栽培法。玉露、碾茶生産では最終遮光95~98%、遮光期間は約20日である。」と解説されていますが、「遮光期間は約20日である。」は現実とは違い、「遮光期間は約20日以上である。」が現実に合っていると思います。実際の遮光期間はもっと長く棚の平均遮光期間は36日間~38日間になります。

(ウ)「茶大百科Ⅱ」
平成20年(2008年)発行の茶大百科Ⅱの319pでは、「まず新芽の0・5~1葉期頃からよしず、もしくは上段の黒色化繊を広げ」「約10日後に、よしずの上にわらを広げ、黒色化繊二段被覆の場合は下段被覆を行う」「わらふりを二回に分ける場合は、よしずを拡げた約十日後に1回目のわらふりを行い、その約1週間後に2回目のわらふりを行う」「被覆下で合計30日程度かけて、ゆっくりと大きく柔らかく展開した濃緑の新芽は、良質の碾茶となる。」と最も現実に近い解説がされている。

(エ)「日本茶インストラクター講座」
平成28年度版日本茶インストラクター講座テキスト(75p)では、「本簾被覆の場合、新葉が1~2枚展葉した頃に開始し」は良いと思いますが、現実には新芽の萌芽宣言が出る頃にはよしずは拡げられています。「被覆開始から20日頃が摘採適期である。」は誤りで、「被覆開始から20日頃が摘採開始期である。」が現実に合っています。棚被覆では最短の被覆期間で23日でした。

(オ)「宇治茶を語り継ぐ」堀井信夫
堀井信夫氏が平成18年に書かれた「宇治茶を語り継ぐ」(61p)には、「一般のお茶(碾茶、玉露)は4月5日ごろ簀上げ、4月15日簀拡げ、4月末藁拭き、5月10日ごろ初摘み製造」であったが、戦後には、品種改良、早生品種の栽培、全品、関品のため、「3月25日から3月末日には、簀を広げ第1回の寒霜にあたらないようにすることと、簀下期間を15日位にし藁拭きも一度拭きならず二度拭き、三度目手直しと藁下期間も15日位と長く被覆することになりました。」と、一般のお茶で25日間、上級のお茶では30日間の被覆の後、初摘みされると書かれています。

(カ)日本茶業中央会の玉露と抹茶の定義
日本茶業中央会の玉露の定義は
「一番茶の新芽が伸び出した頃からよしず棚などに藁や寒冷紗などで茶園を20日前後覆い、ほぼ完全に日光を遮った茶園(「覆下園」)から摘採した茶葉を煎茶と同様に製造したもの」となっています。この「20日前後」という日数がどのような根拠で決定されたのか、その史料はありませんが、「簀下十日、藁下十日」の言い伝えが20日の論拠になったのではないかと推察されます。私の考えでは「20日以上」とするべき日数が、なぜ「20日前後」になったのかを解き明かす資料はありません。
日本茶業中央会の抹茶の定義は
「覆下栽培した茶葉を揉まずに乾燥した茶葉(碾茶)を茶臼で挽いて微粉状に製造したもの」となっています。
抹茶の定義には玉露にある日数の縛りはありません。「覆下栽培」と「揉まずに乾燥」と「茶臼で挽いて」の3つが要件になっています。

 

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