お抹茶のすべて 6-2 【「抹茶の歴史その4」「抹茶と文化」】

明治、大正、昭和戦前期の古い茶業写真や絵葉書を集めています。その一部を紹介します。


宇治茶写真その1 
「茶園」(宇治小倉、山政)……茶園、園畑(えんばた)、覆小屋(おいごや)

昭和初期の久世郡小倉村東山付近の小山政次郎氏の茶園です。小山政次郎は昭和9年頃から品種の選抜を始めています。「さみどり(小山69号)」はこの茶園から選抜されたのでしょうか?


宇治茶写真その2 
「茶摘み」(宇治、中村)……覆下園、本ず、二重(にじゅう)、自然仕立て、摘み娘(つみこ)、手摘み、茶摘み籠、しんど、天秤棒、棚、なる、葦簾(よしず)、藁,下骨

久世郡宇治町の中村藤吉氏の覆下園の茶摘み風景です。摘み娘さんの衣装が揃っていますので、やらせ写真です。この頃の茶摘み写真は、覆い下は暗くて写りが悪いので、茶園の縁で写した写真が多い。


宇治茶写真その3 
「生芽撰り」(宇治木幡、林屋)……茶撰り、茶撰台、生芽撰り

宇治郡宇治村木幡の林屋製茶合名会社の生芽撰り(なまめより)の写真です。大正時代は物価が高騰し、人件費も高くなり、京都においても製茶の機械化が図られた時代ですが、碾茶や玉露の生産では、多くの場面で手撰りをしています。
丁寧なところでは、生芽撰り、蒸し芽撰り(蒸した芽を冷まして手撰りする。)シナ撰り(碾茶炉の1段目を出たところで手撰りする。)荒撰り(できた碾茶荒茶を手撰りする。)と荒茶の段階までに4回も手をかけていました。


宇治茶写真その4
「蒸し」(宇治、中村)手蒸し、蒸籠、冷まし台、流し、冷まし籠、冷まし団扇

久世郡宇治町、中村藤吉氏の蒸場の手蒸し風景です。碾茶用機械蒸し機は昭和24年に開発された京茶研型碾茶蒸機が最初で、それまでは手蒸しでした。
手蒸に用いられる釜は鶺鴒釜と言い、安政年間に発明されました。宇治郡木幡村の松尾清之丞の祖父松尾主膳は蒸に使用する尋常釜では蒸気の量が不完全であるのを改善しようと考え、最初は浴室用の縁なし釜を使用しましたが、数年後に鋳物師に頼んで、釜座を付けた一層底の深い釜を作らせ蒸を完全なるものにしました。これが鶺鴒釜の始まりです。


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